平成のマルコポーロ 芦原伸の「シルクロード鉄道紀」 トップに戻る

2010年4月

法隆寺、夢殿は大モンゴル帝国の遺産だった?!

9/15(火) 奈良

 とうとう奈良に着いた。博多から京都まで660km、新幹線でわずか2時間50分。京都駅から奈良へは近鉄特急で30分の速さだ。さすが「鉄道王国・日本」である。この距離を移動するのに海外ならば夜行列車で一晩はかかるだろう。時速300km、分刻みで運行する日本の高速鉄道は世界の最先端をいっている。この素晴らしい新幹線システムを中国や中央アジア、イラン、トルコに輸出すればどうだろうか? もし新幹線がシルクロードを横断すれば、わずか66時間で京都とローマを結ぶことになる。車やバイクの日本名はすでに知られているが、鉄道の日本はまだ多くは知られていない。円高不況の特効薬になるのではないか? ただし、日本人のように几帳面で、気の細かな人材が彼地にいるか、どうかが問題だろう。一人の人間が一つのことしかできない(やらない?)彼地では、せっかく新幹線を輸出しても運営が難しいかもしれない。いっそのこと退職したJRのOBを同時に"輸出"すればいいかもしれない。日本人の寿命は世界一といわれているから、退職後も10年くらいは十分に働けるだろう。

 さて、東大寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺と、"奈良には古き仏たち"を見に行った。日本の仏たちの素晴らしさに改めて感動した。表情や仕草、衣装のデザインなど、今の中国や韓国に残る仏像と比較したら、はるかに優れている。中国、韓国の仏像が玩具としたら、日本の仏はみな芸術品である。もちろん中国は文革で多くの仏像が破壊されたが、それをおいても日本の仏像は傑出している。当初は百済から仏師が渡り、仏像作りを伝えたという。その技法を習得して、日本独自の仏像は作られた。
 思えば、奈良は日本で最初の国際都市だった。大陸文化がもたらされ、建築や音楽、文学が花咲いた。壁画に描かれた飛天や鐘楼の唐草模様など多くの古寺にはシルクロードの面影が色濃く残っている。

 

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法隆寺の夢殿を訪れて、懐かしい風景だ、と思った。八角形の吹き抜けの建物は北京の天壇と似ているではないか。天壇は元時代に北京で作られた宮殿で、その形は巨大なゲル(モンゴル人のテント)に似ている。夢殿という名も元の代々の王が天空を望み、夢見たという天壇に通う創意があるではないか。
 
 かつて江上波夫氏の「騎馬民族王朝征服説」が話題を呼んだ。大和朝廷を作ったのは、旧満州(中国東北部)にいた騎馬民族で、5世紀に大阪平野に進出し、大和盆地の豪族と共同して大和朝廷を作ったという説である。江上氏によれば、5世紀頃の日本では大きな変化があり、ズボンの着用や墳墓、装飾など遊牧民族の文化が突如現れたとしている。聖徳太子の肖像は騎馬民族系の顔だ、という説もある。とすれば、夢殿もまた、天空をも支配しようとした大モンゴル帝国の遺産だったのかもしれない。

博多では『古代通商の道』が復活していた

 9/13(日) 博多

 9月13日(日)、ついに博多に上陸した。

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(写真 JR九州の高速艇「ビートル」) 
 釜山港からJR九州の高速艇「ビートル」で わずか2時間55分だった。右手に対馬の山並を見ながら日本海を渡ると、高速艇はほどなく玄界灘に進入した。驚いたことに、このビートル号、釜山から博多へ15分おきに就航している。まるで新幹線並みのダイヤだ(もっとも週末だけのようだが)。
 韓国と日本の近さを思い知った。東京にいると、この距離感がなかなか実感できないでいる。

 博多では翌日太宰府へ行った。太宰府旧庁は大陸からやってきた人々を歓待した日本の窓口で、古代の鹿鳴館のようなものだった。今は跡地が残されているだけで、広大な敷地跡は草野原となっていた。一方、太宰府天満宮は観光客で賑わっていたが、ここでもハングルと韓国語が花盛りだった。
 韓人と和人が入り混じり、容姿や風貌では国籍が判明できない。古代九州はかような"人間風景"だったのだろう。海浜に漁(すなど)りをして暮らす人々にとって、海はひとつなのだ。獲物はその日の漁場に近い港へおろしたのではなかったか? 古代の日本海には、歴然とした国境などなかったはずだ。
 鳩山新内閣が発足して、アジア重視路線が引かれようとしている。これに対し、韓国の李明博大統領は歓迎の意を表し、「天皇陛下のご訪韓」を期待している、と声明を発表した。来年2010年が日韓併合(1910年)からちょうど100年の節目に当たるからだ。李大統領は「ご訪韓が実現すれば、両国間の距離感に終止符を打つ契機になる」と断言している。
 李大統領の言下には韓国人の日本人に対する歴史の大きな傷心が込められている。ひとつは秀吉の慶長・文禄の役で、豊臣軍は漢城(ソウル)を攻め落とし、その時、韓国の文化財の多くを破壊した。そして近年の旧日本軍による韓国の植民地化である。
 
 ふと、ソウルのガイド、林(イム)さんの言葉を思い出した。
「韓国5000年の歴史からすれば、日本の侵略はたかだか100年にも及びません。歴史のいたずらのようなもので、今の韓国の人々はもうそのことは忘れ、むしろ日本人を歓迎しています」
 2000年の歴史しかもたない日本人は頭を垂れるより、仕方がないのであった。

稲田のなかに立つ、古代シルクロードの異国人

 9/11(金) 慶州

 慶州(ギョンギュ)まで来た。
 長かったシルクロードの旅もいよいよ最後の地となった。明日は慶州からセマウル号に乗り、釜山へ。釜山から博多まではJR九州のビートル号(水中翼船)でわずか3時間のみちのりだ。
 慶州は新羅(しらぎ)の都で、仏都として韓国のなかでも一番多く寺社が残っている。李氏朝鮮が仏教を廃し、儒教を取り入れて以来、多くの寺は放置され、仏僧は山野に隠遁した。そんなわけで韓国には仏教遺跡は多くはないが、ここ慶州だけは例外である。

 実はこのシルクロード紀行を計画する時、扶余(プヨ)にするか慶州にするか、大いに迷った。扶余は百済(くだら)の都であり、日本との関わりが一番深い国だ。百済が新羅に攻められた時、日本は百済を助けようと出陣もしている。唐と組んだ新羅の勢力は強く、日本は簡単に敗北してしまうが(白村江の戦い)、以後、百済の亡命者を受け入れて、日本に仏教美術がもたらされたという由縁がある。
 奈良という言葉も韓国語の「ナラ=国」からきている、という説もある。しかし、日本への帰国の経路を思うと、ソウルから一気に南下したい、という気持ちと以前見た韓屋の瓦屋根の印象が強く、慶州を選んだのだった。 

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(写真 慶州の古墳「掛陵」)
 さて、慶州でシルクロードの痕跡は見つかるだろうか?
 
  そんな心配を払拭してくれたのは女性ガイドのキム(金)さんだった。
 釜山から駆けつけてくれたキムさんが連れて行ってくれたのは、「掛陵」といわれる、38代元聖王(785?798)の古墳だった。今は人里離れた古墳公園となっており、小学生の子供たちが遊んでいたが、その古墳の前に並ぶ二つの石像が西南アジアの人(ペルシャ人かアラビア人)だったのだ。王の墓を守るために漢人や狛犬と並んで建てられた異国人の風貌はまさに古代シルクロードの顔であった。
 古墳の空にはアキアカネが舞い、林ではツクツクボウシが鳴いていた。
周囲には緑の稲田が広がり、小川にはメダカが泳ぐ。

懐かしい日本のような風景のなかに、シルクロードが息づいていた。

韓国で発見した、シルクロードの足跡

9/8(火) ソウル

 韓国のシルクロードというと、ちょっとピンとこないかも知れないが、中国から大陸を伝い、朝鮮半島へ文化が伝達し、日本海を越えて、九州や大和に到達した事実は必ずあるはずで、そこここに西域の文化の足跡が残されているはずだ。
 実際、仏教の日本への伝来は百済の聖明王が日本の大和朝廷へ伝えた、ということは教科書で学んでいる。
 
 ところが、ソウルでお願いした女性ガイドのイム(林)さんは、
「シルクロードねえ。ソウルの歴史は新しいから、あまりピンとこないです」
 ダメもとでもいいから、と世界遺産になっている皇帝の離宮、昌徳宮へとりあえず向かった。

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(写真 昌徳宮の屋根瓦)
 自然と調和したいという皇帝のポリシーで作られたという離宮は、ソウル市内にありながら、まるで山野にあるごとく緑のなかに包まれていた。池にはムギワラトンボが飛び、林では蝉が鳴く。
 荘厳な離宮の門や館は緑、赤の極彩色でいろどられ、日光東照宮の華麗さを思い出させた。
 ふと、屋根瓦を見ると、小動物が並んでいる。魔除けに置かれたものだというが、そのモデルは西遊記の玄奘三蔵と孫悟空、猪八戒らだと聞いて、思わず、叫んだ。
「シルクロードがここにあるじゃないですか?」
 イムさんは、
「そういえば、そうですね」

 次には、仏教がソウルにはじめて伝来したという、円覚寺跡へ行った。ここは抗日デモのあった広場で、今は公園となり、仏教よりも三一運動の発祥地としてしられている。果たして、そこにも、十層の石塔があり、その側面には数々の仏の像とともにラクダの姿が描かれているのであった。
「本当? あれラクダですね。今まで知らなかった!」
 イムさんもたじたじである。
仏教とともに、さらには麺も伝来しているはずである。ちょうどお昼になったので、ぼくはイムさんに、
 
 韓国の伝統的な麺を食べたい、と頼んだ。韓国の麺というと、冷麺しかぼくは知らない。冷麺の麺は小麦じゃないから、中国古来の麺とは系統が違うのだ。北村地区のとあるお店は韓国伝統の小麦の麺を食べさせてくれる店として人気があるようだ。そこでぼくらは3種の麺を食べた。
 ひとつは海藻とあわび入りの手打ち麺、二つ目はカワニナ入り手打ち麺、三つ目はキムチスープの手打ち麺。いずれも秀逸な味だった。麺も太いのがあり、きしめんのように平たいものあり、細い麺ありで、バラエティーに富んでいる。本場中国の麺よりはるかにおいしく洗練されている。

 文化というものは中央から流れて辺境に至って完成されるものかもしれない。日本のラーメン、日本そばのうまさはそれを立証している。あるいは仏教とてそうかもしれない。インドで誕生した仏教は中国に伝わり、韓国を経て、やがて辺境の日本へとやってきた。奈良や京の仏像を思い出すと、その洗練された美しさは今の中国や韓国には残っていない。

 

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旅人紹介

芦原伸 (あしはら・しん) 1946年生まれ。紀行作家。北海道大学文学部卒。雑誌「旅と鉄道」(鉄道ジャーナル社)のデスクを経て独立。日本旅行作家協会常任理事。近著に『鉄道おくの細道紀行』(講談社)『60歳からの青春18きっぷ』(新潮新書)など。