スポ根的映画論 名画50本ノック

2010年10月

『物語を創造する歓び~映画に愛をこめて アメリカの夜(1974年)』

 映画の監督ほど、つらくて愉しい商売はないのだろう。映画監督役で自ら出演する監督のフランソワ・トリュフォーが言う。「監督とはあらゆる質問を受ける人種である」と。

 監督はまた、すべての責任も負っている。ワガママな俳優をなだめ、スタッフ間のもめごとの相談にものる。もちろんオモシロい映画を演出しなければならない。ヒロインを演じるジャクリーン・ビセットの顔の向きを変え、手の握りも指導する。左耳に補聴器。静かに振る舞いながらも、いつだって画面のトリュフォーは存在感に満ちている。

 この存在感、プロ野球中日の落合博満監督と似ている。「オレ流」で選手に休みなしの猛練習を課し、チームをリーグ制覇に導いた。ベンチではほとんど動かない。薄くなった頭髪をみれば、気苦労も多いのだろう。意外に繊細な神経をしているのだと思う。

 勝利の後だけ、落合監督はふっと笑う。それぞれ異なる報酬のプロ選手を束ね、試合でドラマを演出する。プロ野球の監督も映画監督も、現場での力は絶大である。みんなの生活を預かっている。だから畏怖される。

 冒頭のロケのシーンから、観客も映画づくりの現場に引きずり込まれてしまう。鑑賞後、24歳の映画館勤務の男性は言った。「映画の特殊技巧や構成の仕方がよくわかる。映画ってみんなで作り上げられているのですね。監督をしたくなりました」と。結局はチーム。映画も野球もひとりではできないのだ。

 タイトルの『アメリカの夜』って何かと思ったら、赤いフィルターをレンズにつけて昼間の撮影でも夜間のように見せる手法のことだった。即ち、映画では現実と虚構が混在する。男女関係もどれがホンモノで、どれがウソかわからなくなる。

 間違いないのは、みんな映画が好きだということである。「カット!(終わり)」の声が飛ぶと、トュフォーの口元がふっと緩む。いい顔だ。ついこちらもうれしくなる。

「映画に愛をこめて アメリカの夜」
製作国:仏・伊、日本公開:1974年。ヌーヴェルバーグを代表する名監督フランソワ・トリュフォーがみずから主演を務め、架空の映画の撮影風景を追う形でスタッフやキャストが直面する問題を描いていく異色作。アカデミー賞では外国語映画賞を受賞した。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/

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写真=LA NUIT AMÉRICAINE © 1973 Les Films du Carrosse & PECF & Produzione Intercontinentale Cinematografica. All Rights Reserved.

『純粋な心に泣く~ニュー・シネマ・パラダイス(1989年)』

 憧れとは、純粋な心である。少年サルヴァトーレ・カシオ扮する"トト"が通う映画館『パラダイス座』には、人々の憧れとノスタルジーと夢がつまっていた。

 誰だって、何事にもまっすぐな少年時代がある。だから、この映画に泣く。上演後、出口で見れば、ほとんどの人が両目を赤くはらしていた。50歳の男性もしかり。

「いい。やさしさと愛に満ちている。けがれのない子ども時代、恋に落ちる青年時代。懐かしいなあ。ぼくも映画館に通ったクチなんです」

 ぼくもそうだ。福岡の小学校2年か3年の頃、夏には原っぱで屋外上映会なんていうのもあった。蚊に刺されながら、映画を友だちと見た。タイトルは忘れたけれど、青白い映像の光線と高揚感はおぼえている。

 『パラダイス座』の観客はみな、貧乏である。でもどの顔も活力と喜びに満ちている。冒頭、黒幕の間から映画を盗み見るトトの表情がとてもいい。恍惚とした半開きの口で、どんぐりマナコがキラキラと輝いている。

 この類の目、スポーツでもよく見かける。例えば昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の、"ムネリン"こと川崎宗則(福岡ソフトバンクホークス)の目である。イチローの追っかけを自任し、子どもみたいにはしゃいでいた。

 川崎は13歳の時、田舎の鹿児島でイチローのプレーを目の当たりにする。すぐにマネして左打ちに変え、イチローのビデオ、ポスターを見続ける。やがて「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれることになった。憧れって、生きるエネルギーになるのだろう。問題は子ども時代の純粋な心と情熱を持ち続けることができるかどうか、である。

 映画館が火事になった時、少年トトが映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)を必死に助ける。青年時代のトト(マリオ・レオナルディ)が恋する女性の家の下の路地裏に毎晩、立ち続ける。そのひたむきな姿にぼくは心を揺さぶられたのだった。

 

「ニュー・シネマ・パラダイス」
製作国:伊・仏、日本公開:1989年。本国イタリアでの公開当時こそ興行成績は振るわなかったものの、アメリカや日本など海外で大ヒットした、ノスタルジックなヒューマンドラマの傑作。1989年にカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/


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写真=c 1989 CristaldiFilm

『兄弟愛と価値観の相違を考える~レインマン(1989年)』

 兄弟といえども価値観はちがう。人生もちがう。やり手の中古車ディーラーの弟チャーリーを演じるトム・クルーズと、天才的な記憶力を持つ自閉症の兄レイモンド役のダスティン・ホフマン。いつ心が通じあうのか、見ているこちらが不安になる。

 チャーリーみたいなアメリカ人は大嫌いである。口がうまく、平気でウソをつく。癇癪をおこし、大声でどう喝する。金がすべてと思いこみ、打算的に生きようとする。こんなイヤな役をクルーズが熱演する。兄にイライラする時の仕草など、努力の跡がみてとれる。

 それでもホフマンの方が一枚ウワテなのだろう。自然なのだ。自閉症の様子が少しも演技っぽくはない。目を相手に決して合わせず、何かの拍子に取り乱す。おびえた目つき、首を右にかしげながらひょこひょこ歩く姿など、胸が少し痛くなる。

 できれば兄弟は仲良くやってほしい。不仲だと両者が不幸になる。スポーツで兄弟というなら、大相撲の若貴兄弟が思い浮かぶ。父の死に際し、兄弟の確執が明るみとなった。社交的でビジネス界、芸能界で生きる兄の花田勝(元横綱若乃花)と、相撲界にとどまった不器用で一途な弟の貴乃花親方。価値観の違いだろう。悪口、自己主張を繰り返す両者の姿は悲しいものがある。

 若貴兄弟も、映画の兄弟も小さい頃は心が通じ合えていた。チャーリーの子ども時代のヒーロー、『レインマン』とはじつは兄のことだった。レインマン(雨男)の歌を歌ってくれていたのだ。それを知ったときのクルーズのがく然とした顔がいい。

 上映後、映画通の50歳代の男性はタオルで涙をぬぐっていた。「二人ともやっぱり、タダ者ではない。音楽も映像も美しくて......」。とくにホフマンが噴水のあるラスベガスのローターリーで車を運転し、縁石にタイヤを乗り上げるシーンで一番泣いたそうだ。

 その時、兄弟の心が通じ合っていたからだろう。今も昔も、家族愛や兄弟愛は生きていく上で大切な要素なのである。


「レインマン」
製作国:米、日本公開:1989年。重い自閉症を患った兄を演ずるダスティン・ホフマンと、屈折した感情を抱きながらも次第に人間的に変わってゆく弟役のトム・クルーズの演技が冴え渡る。展開の巧みさと美しいシーンの連続で観る者を感動へと巻き込んでいくヒューマンドラマの傑作。アカデミー主演男優賞、作品賞、脚本賞、監督賞の4部門受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/

 

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写真=RAIN MAN © 1988 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.

『親子愛へのあこがれ~クレイマー・クレイマー(1980年)』

 歳をとると涙もろくなる。純粋な親子愛を信じたくもなる。離婚、子育て、親権訴訟......。確かに陳腐なヒューマンドラマであるけれど、一流の役者がこまやかな演技で僕らの涙腺をいたく刺激するのである。

 夫のテッドを演じるダスティン・ホフマンも、妻ジョアンナ役のメリル・ストリープもうまいなあ。とくに悲哀を感じさせる表情がいい。息子役のジャスティン・ヘンリーの澄んだ瞳にもつい引き込まれてしまう。

 いつのまにかテッドに自分をだぶらせる。自己中心的で仕事一筋、時にカッとなる。でも子どもを愛する。突然、妻が子どもを残し、家を飛び出したらどうするのだ。会社をクビになったら。親権訴訟を受けたら。フレンチ・トーストを焦がせて、フライパンに八つ当たりする時のホフマンの表情が切なかった。

 ベッドでいじける息子に対し、ホフマンはなぜママが家を出たのかを小声で説明する。「おまえじゃなく、パパのせいなんだ」。そう言って、涙をぬぐう息子をしかと抱きしめる。中年男の悔恨である。

 親子愛といえば、ボクシングの亀田父子を思い浮かべる。離婚後、父の史郎は3兄弟と娘の4人を男手一つで育て上げる。父子の夢が「世界チャンピオン」だった。夢を果たし、粗野な史郎が世間にボロクソにたたかれた時、僕は長男の興毅にインタビューしたことがある。興毅は言った。「おやじはほんまに世界一なんや」と。なぜか感動した。

 亀田親子にしても、この映画のテッドと息子にしても、苦境の中で懸命に生きようとする親子の姿と絆には胸を打たれるのだ。
20歳代のカップルに聞けば、裁判シーンでは男性がテッドに、女性はジョアンナに感情移入していた。男は続ける。「みんな表情が豊か。やっぱり親子っていいですね。ただストーリーは"ベタ"でセンチ」と。

 感傷的であるけれど、ただ甘いだけの映画ではない。育児と仕事の両立。夫婦の自立。いろんなことを考えさせてもくれる。


krvsk_stl_3_l_チ.jpg「クレイマー、クレイマー」
製作国:米、日本公開:1980年。仕事一筋の男とその家族を通して、離婚や子供の養育権といったテーマを絡めつつ家族愛のあり方を描く、ハートフルな人情ドラマ。アカデミー賞作品賞など5部門受賞、ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/

  写真=© 1979 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

旅人紹介

松瀬学(まつせ・まなぶ)
1960年長崎県生まれ。福岡・修猷館高、早稲田大学ではラグビー部に所属。同大卒業後、共同通信社入社。同社では、一貫してスポーツ畑を歩み、2002年に退社、ノンフィクションライターに。『汚れた金メダル〜中国ドーピング疑惑を追う』でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『早稲田ラグビー再生プロジェクト』『日本を想い、イラクを翔けた〜ラガー外交官、奥克彦の生涯』『五輪ボイコット』『スクラム』『匠道〜イチローのグラブ、松井のバット』などがある。