『至福の1年間。映画とスポーツに感謝~名作50本"観戦記"』
過酷かつ、楽しい仕事だった。50本。泣いた、笑った、夢をみた。ヒッチコック、ビリー・ワイルダー監督のつくりに唸り、ジェームズ・ディーン、マリリン・モンローの表情にうっとりした。スポーツでいえば、オリンピック取材を終えた時の幸福感に似ている。
2010年2月に始まった『午前10時の映画祭』とは、映画ファンの投票によって選ばれた珠玉の50本を週に1本ずつ、1年間かけて全国各地で上映する企画だった。ぼくは鑑賞する映画館を、六本木ヒルズのTOHOシネマズと決めていた。販売スタートの2日前の深夜零時にパソコンでチケットをゲットする。5分で完売となることもあった。酔っ払って寝てしまい、チケットを買いそびれたこともある。それでも何とか確保する。いつもわくわくして足を運んだ。
映画館に入れば、ポップコーンのにおいがしてくる。人いきれ、ホットドッグやコーヒーのかおりも漂い、どこかアメリカの地方球場のようなあたたかい空気なのだ。30本を超えたあたりから、顔なじみのおじさんも増えてきた。どの目も青年時代のそれだった。
スポーツを取材して、ざっと30年となる。いろんな一流選手や好勝負をみてきた。映画をみていたら、時々スポーツシーンを思い出すことがあった。『ゴッドファーザー』のマーロン・ブロンドは国際オリンピック委員会のアントニオ・サマランチ前会長みたいだったし、『ブリット』のスティーブ・マックイーンはF1のアイルトン・セナみたいだった。『鉄道員』の父親役のピエトロ・ジェルミはプロ野球の江夏豊の孤独を蘇らせた。一番好きな『大脱走』はサッカーのワールドカップ(W杯)のドリームチームである。例えば、1982年スペイン大会のブラジルの「黄金のカルテット」なのだった。
上演後、必ず誰かにインタビューした。目が憂いを帯び、「永遠の青春」を口にしてくれた。最後の『ショウほど素敵な商売はない』の時、「映画って何ですか?」と聞いたら、61歳の男性は小さく笑って答えてくれた。
「映画ほど素敵な娯楽はない」
【編集部より】
1年間にわたって「スポ根的映画論『名画50本ノック』」をご愛読いただき、ありがとうございます。松瀬学氏が毎週、映画館に足を運び、スポーツライターの視点で描いた「元気の出る映画コラム」が、名画の魅力を再発見するきっかけとなれば幸いです。『午前十時の映画祭』は好評につき、2011年2月から作品数、開催劇場を拡大して第2回が開催されます。1年目からの25劇場では新しい50本(Series2/青の50本)を上映、新たに加わった25劇場では1年目の50本(Series1/赤の50本)が上映されます。作品やスケジュールなど詳しくは『午前十時の映画祭』の公式HP(http://asa10.eiga.com/)をご覧下さい。
『家族愛と人生賛歌。どっこい生きている~ショウほど素敵な商売はない(1954年)』
野球ほど素敵な商売はない。「世界」の王貞治さんはかつて、こう漏らした。王さんは野球が好きで好きでしょうがないのだ。神宮球場の記者席で初めて言葉を交わした時、僕は王さんの笑顔に「生きる喜び」をみた。
あぁ人生って素晴らしいのだ、とうれしくなったのである。1977年9月3日の後楽園球場。756号本塁打を達成した夜、王さんの老いた両親がスタンドで万歳するシーンが忘れられない。家族っていいナ、と思った。
このミュージカル映画もまた、人生賛歌である。歌って踊って、楽しいショウビジネスの世界に連れていってくれる。家族が絆を取り戻すストーリーはよくあるが、『雨に唄えば』のドナルト・オコナーのアクロバッティングなタップダンス、芸能一座を率いる母親役のエセル・マーマンの円熟のダンスは楽しい。
マリリン・モンローの甘ったるい歌も悪くない。初めて登場するシーンの後ろ姿の色っぽいこと。長男役のジョニー・レイが神父になる際の「さよならパーティー」では父母が部屋の隅でそっと涙する。その親心に感情移入し、見ているこちらも胸が痛くなった。
せりふが粋である。長男が神父になりたい、と知った時、父親役のダン・デイリーがつぶやく。「わたしのひいきのカージナル(枢機卿)は野球だけだ」と。大リーグのカージナルスに重ねたジョーク。ちょっと笑った。
マリリンは色気をプンプン発する。鑑賞後、61歳の男性は言った。「おれは不満だ。マリリン・モンローの出番が少なすぎる。やっぱりミュージカルを映画にするのはきついなあ。舞台の本物の迫力が伝わってこない」と。
そりゃそうだ。でも部分、部分で、舞台に似た興奮を味わった。離れ離れになった家族全員が最後に集まって、一緒にタイトルの『ショウほど素敵な商売はない』を歌いあげる。足でリズムをとり、鼻歌を合わせる。野球もショウも映画もなんだか楽しくなる。つい口にする。どっこい生きている、と。
「ショウほど素敵な商売はない」
製作国:米、日本公開:1955年。ミュージカル映画の傑作『アニーよ銃をとれ』のために書かれた、アーヴィング・バーリン作詞作曲の楽曲をそのままタイトルとしたミュージカル・コメディ。『愛の泉』のソル・C・シーゲルが製作を、『栄光何するものぞ』のフィービーとヘンリー・エフロン夫妻が脚色、『わが心に歌えば』のウォルター・ラングが監督を担当した。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
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【お知らせ】 スポーツライター松瀬学氏が1年間にわたって連載してきた「スポ根的映画論『名画50本ノック』」は、今回で50本目のゴールを迎えました。ご愛読いただき、ありがとうございます。来週はコラムの最終回として、「名画50本"観戦記"」をお届けします。
『色気と笑いの満足感~お熱いのがお好き(1959年)』
マリン・モンローのエロっぽさと、ジャック・レモンの可笑しさ。お馴染みのビリー・ワイルダー監督がこれをほどよく料理し、まるで上等なおせち料理を食べさせてもらっているような幸福な気分になった。
正直、昔はマリリン・モンローには全く興味がわかなかった。大胆なセックスアピールが苦手だった。だが映画館でみれば、この金髪女優の魅力はやはり絶品である。冒頭に登場する際の駅構内でのモンローウオーク。
お尻を左右にリズミカルに揺らす。後ろ姿を見て、レモン扮する女装した楽団員のジェリーがもらす。「あれはモーター付きだな」。マリリンが車内でバーボン入りのフラスコをスカートの中の太ももから取り出すシーン。ついこちらの胸の動悸がはげしくなった。
スポーツを取材する際、どうしても女子選手の場合、美しさに見とれてしまうことがある。例えば、女子バレーボールの日本のエース、木村沙織。抜群の運動能力もだが、キュートな笑顔とナイスバディ、天真爛漫な無邪気さがファンを魅了してしまう。天然のコメントにも何度、笑ったことか。
昨年の世界選手権では獅子奮迅の働きで日本を銅メダルに導いた。カッコよかった。マリリン同様、木村もファンの声援を力にする強さがある。マリリンも男性の視線を意識し、目を少し閉じ、口元をすぼめて歌う。その顔付き、甘ったるい声も妙に男心を刺激する。
40歳代の男性曰く。もう5度目の鑑賞。
「マリリンの魅力爆発といった感じです。笑わせてもくれる。どたばたのストーリーだけど、下品に落ちていない。せりふもいい」
一番笑ったのが、レモンがタンゴのリズムに乗って、寝床で憑かれたようにマラカスを鳴らし続けるところである。せりふも洒脱。一番はラストシーンの有名な「Nobody is perfect」(人間はだれも完全ではない)だろう。色気と笑いの中にメッセージがちりばめられているのだった。
「お熱いのがお好き」
製作国:米、日本公開:1959年。コメディ映画の神様的存在となったワイルダー監督の代表作。本作ではじめてジャック・レモンを起用し、さらに「アメリカのセックスシンボル」マリリン・モンローをヒロインに据えて、上質なスラップスティック映画に仕上げている。アカデミー衣装デザイン賞(白黒)受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
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『ストーリーの面白さが一番~アパートの鍵貸します(1960年)』
新年である。寒風の中、箱根駅伝を取材し、映画館で暖をとる。ともにストーリーが一番大事。どたばたのラブ・コメディーながら、練りに練ったビリー・ワイルダー監督の脚本にはもう、うなるしかない。
ひどい話である。ジャック・レモン演じるバクスターは保険会社のしがないサラリーマン。出世のため、アパートの部屋を上司たちに浮気の密会場所として提供する。その情事が終わるまで、夜雨に濡れながら、レモンはアパートの外で待っている。猫背の白いレインコート姿で。なんとも侘びしい。
でもユーモラス。洒脱な演出と、レモンの演技力があるからだろう。とくに目と眉、口元の動きが軽妙。風邪をひき、ティッシュペーパーで鼻をかみながら、上司の情事のスケジュールを調整する。鼻グスリが何かのはずみでぴゅーっと飛んでいく。可笑しい。
箱根駅伝もまた、練り上げられたシナリオがあるかのようである。各校エースをぶつける「花の2区」から、箱根の山登りの5区、そして山下りの6区。早大のアンカーが、迫りくる東洋大の猛追をかわした今年のレースもサスペンス映画を観るようであった。
箱根駅伝といえば、もう瀬古利彦である。早大の1年生から4年連続で「花の2区」を無表情で走り、区間新を連発した。ドラマを演出した。実はひょうきん。酒席を共にすれば、ジャック・レモンの都会的な笑いとは違うが、親友の楽太郎(三遊亭圓楽)仕込みのジョークで笑わせてくれたのだった。
61歳の男性曰く。「オトソ気分もあってか、ほのぼのするねえ。設定がおもしろい。ジャック・レモンが惚れる女性がかわいい」。女優が若かりし日のシャーリー・マクレーン。
いい映画って、やはりシナリオが緻密なのだろう。シャンパンを開ける音が銃声に聞こえるシーンがある。このシャンパンって、クリスマスイブに上司が部屋を借りようと思って持参したものだった。無駄がない。すべてがストーリーにつながっているのだ。
「アパートの鍵貸します」
製作国:米、日本公開:1960年。ハリウッドの名匠ビリー・ワイルダー製作・監督・脚本のロマンティック・コメディ。主役には『お熱いのがお好き』に続いてジャック・レモンを起用。お相手は同年の『恋の売り込み作戦』でもヒロインを演じたシャーリー・マクレーン。洗練された都会的なセンスに満ちあふれた作品で、アカデミー作品賞、監督賞など6部門を受賞した。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『無言の心のふれあいと笑顔~フォロー・ミー(1972年)』
クリスマスの日、ついに映画館でこの"幻の名作"を観る。最近までDVDにもなっていなかった作品。誰もが孤独におびえ、恋に心ときめく。私立探偵を演じるコミカルなトポルが言う。
「独りぼっちの生活は寂しいぞ」
口ひげのトポルがいい味を出している。田舎のおじさん風だけど、依頼人の会計士の妻、ベリンダ役のミア・ファローを見る眼差しはやさしい。ロンドンの街をひとりさまようファロー、白いレインコート姿で大胆に尾行するトポル。言葉はない。笑顔がある。
ふたりが公園のランチの時、ゆで卵をそろって頭で割るシーンには笑わせられた。優雅な音楽にのって、昔のトラガルファー広場やテムズ川などロンドンの風景が流れる。
出会いは貴重である。スポーツ界でも、トップ選手はよき指導者と出会えるかどうかに成長の度合いがかかっている。シドニー五輪金メダルの"Qちゃん"こと高橋尚子もまた、小出義雄コーチとめぐり合い、マラソンの喜びを知った。あどけない高橋のスマイルと、トポルの如く、人懐っこい笑顔の小出。同じ目標に向け、互いの信頼関係を強めた。
映画はセリフもいいのだけれど、ただ歩き回るところがいい。みんな表情豊かで生き生きとしている。Qちゃん同様、小柄なミア・ファローには不思議な魅力がある。とくに笑ったときの口元がキュートである。
上映後、四十代夫婦は幸せそうな顔をしていた。
「音楽がいい。なぜか何度も泣いた。人と人のふれあいのほのぼの感がしんみりきます」
と夫が言う。妻が小さく笑う。
「ミア・ファローは雰囲気がある。かわいい。大物キラーの由縁がわかる気がします」
そういえば、ミア・ファローは私生活でフランク・シナトラと結婚し、ウディ・アレンのパートナーともなったのだ。
表情でいえば、映画の冒頭、ミア・ファローが会計士役のマイケル・ジェイストンと出会うシーンがいい。レストランのウインド越しの視線の動き、場面設定が絶妙である。冷徹そうなジェイストンの笑顔も悪くない。
「フォロー・ミー」
製作国:英・米、日本公開:1973年。『第三の男』のキャロル・リード監督による大人のラブストーリー。ロンドンという現代的人間関係の縮図のような街を舞台に、人同士のふれあい、夫婦の絆といったヒューマニズムのありようを問いかける傑作だ。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『絶妙のリズムと笑いのツボ~チャップリンの独裁者(1940年)』
笑いのセンスはもちろんだけれど、チャップリンの運動神経とリズム感にもひどく感心する。冒頭の爆笑ギャグ。チャップリン演じるユダヤ人の床屋が戦地で大砲の不発弾の周りをいったりきたり、こけつまろびつしながら駆け回る。動作に瞬発力とキレがある。
チャップリンが一人二役を務める。世界制覇を夢見るトメニア国の独裁者ヒンケル役ではひとり、地球儀の風船と戯れるシーンがある。風船をけったり、お尻で打ち上げたり。ぽんとテーブルの上に飛び乗るときの跳躍力もまた、人並み外れている。ハッとした。
どだいチャップリンならではのステッキ片手のアヒル歩きのリズムも軽妙なのだ。チャップリンが近隣国バクテリア国の独裁者、ナパロニ(ジャック・オーキー)と右手を交互に上げ下げしながら、あいさつを交わす。絶妙の間合いと呼吸。これが無性におかしい。
完ぺき主義者なのだろう。スポーツ選手の運動神経はいいのだけれど、例えば、レスリングの"連勝女"、吉田沙保里のリズム感も抜群である。連続バク転も朝飯前という。CMで音楽に合わせ、警備員たちと一緒にコミカルに踊るシーンがある。吉田は完ぺきなダンスを目指し、手先の細かい動きにまで気を遣ったそうだ。
チャップリンも吉田も生真面目ゆえのオモシロさがある。上演後、34歳の男性は言った。「ドリフターズやタモリの笑いの原点をみる思いがします。有名な演説シーンは長い気がするけれど、やはり聞き入ってしまう。内容は今でも十分、通用します」と。
ご承知の通り、この映画は現実の独裁者ヒ【ッ】トラーやムッソリーニをとことん批判し、茶化している。よくぞ世界大戦間の狂気の時代にこんな風刺映画を作ったものだ。演説で声を張り上げる。「人生は美しく、自由であり、素晴らしいものだ」。笑いの底流には平和を求める主張がしかと流れている。チャップリンは反骨の人、信念の人だったのだ。
「チャップリンの独裁者」
製作国:米、日本公開:1960年。チャップリンの最初の完全トーキー作品。最後の演説はどうしても音声で伝えなくてはならないというチャップリンの強い主張によりトーキーが採用された。製作・公開されたのは第二次大戦前夜ながら、ナチス・ドイツとヒトラーを痛烈に風刺しており、興行的には成功したものの政治的理由でアカデミー賞などの栄誉には浴していない。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『人生は捨てたものじゃない~ライムライト(1953年)』
人生に必要なのは、勇気と想像力と......、そして少しの金だ。映画の中でそう、チャールズ・チャップリン演じる道化師カルヴェロが言う。とても有名なせりふである。僕は、これにプラス、「ユーモア」だと思う。何度見ても、笑い転げ、元気をもらえるのだ。
無駄なせりふがひとつもない。落ちぶれていたカルヴェロが自殺未遂のバレエ・ダンサーのテリー(クレア・ブルーム)を救い、自分も最後にひと花咲かせようとする。チャップリンの自伝的作品といわれる。映画の冒頭のフレーズ。「ライムライトの陰で老いは消えゆく」。なんだか切なくなる。
チャップリンは喜怒哀楽を顔のアップで表現する。ノミの曲芸を演じるときの目のコミカルな動き、あるいは契約を打ち切られた時の絶望の目。上演後、50歳代の男性が言う。
「チャップリンのすべての演技、すべてのせりふに酔いました。笑った。泣いた。とくに老いて卑屈になる心情がよく理解できる。どうでもいいけど、チャップリンの口元って坂上二郎さんとそっくりですね」
最後にひと花、はスポーツ界ではよく目にする。広州アジア大会で取材したテニスのクルム伊達公子もそうだ。かつて世界ランク4位までいった元女王の40歳。シングルス準決勝の敗退後、「疲れない?」と聞いたら、口元だけで笑った。
「疲れを感じないといったらロボットになってしまいます」
伊達もチャップリンも、己の人生と戦っている。死は免れない。生も免れない。だから、戦うのだ。チャップリンが言う。「幸福のための戦いは美しい」と。じつは彼は、赤狩り(レッドパージ)とも戦っていたそうだ。
久しぶりに笑いすぎて涙が出た。チャップリンとバスター・キートンの新旧喜劇王の共演シーンだ。せりふはない。バイオリンを弾くチャップリンとピアノのキートン。客席のあちこちから大きな笑い声が出続けた。ああ年の瀬に笑える幸せを感謝する。
「ライムライト」
製作国:米、日本公開:1953年。チャールズ・チャップリン製作・脚本・監督・主演・音楽作品。彼がはじめてノーメイクで出演した作品でもある。また、もうひとりの喜劇王バスター・キートンも招聘し、最初で最後の競演を果たしている。彼自身を投影したといわれる悲しき中年道化師と、若きダンサーの悲恋を描いた、チャップリン後期の傑作。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『思い出の切なさ~追憶(1973年)』
人間だもの。恋をすれば、けんかもする。歳月は残酷だ。ロバート・レッドフォード演じるハベルの如く、あの頃はよかったな、とつい思い出に浸ってしまうのだ。
時折、志を頑なに貫く人がいる。バーブラ・ストライザンド扮するケイティもそうだ。反戦運動から、「赤刈り(レッドパージ)」反対、そして反核運動へ。社会運動に没頭するから、愛するハベルから「生きるスタイルが違う」と言われてしまう。切ない。有名な「♪メ~モリ~」の主題曲が感情を揺さぶる。
ストライザンドの意固地な顔つき、上流階級に対するひがみっぽい語りがうまい。いつも社会に苛立っている。大声を出す人は嫌いだ。彼女のような人がそばにいたら、たまらないだろうな、と思う。でも上からのアングル、笑ったときの顔はかわいく見える。
フィギュアスケートの浅田真央も志を貫く一途なアスリートだ。「完全な演技」の夢の実現を目指して、バンクーバー五輪後、ジャンプを磨くため、長久保裕コーチに付いたと思ったら、3カ月で名伯楽の佐藤信夫コーチに鞍替えしてしまった。
ふたりは祖父と孫娘ほどの年齢差がある。果たして佐藤氏の指導がハタチの浅田にマッチするのかどうか。白髪のコーチの気苦労を想像する。ロシア人女性のタチアナ・タラソワとの頃が一番幸せだったかもしれない。
映画の観客は年配の紳士が多かった。あえて20歳代の男性に聞く。
「自分をだぶらせることはできないけれど、何度も泣いてしまった。ふたりは分かり合えない。それにしてもロバート・レッドフォードってカッコいい」
美男俳優レッドフォードの魅力はブルーの瞳だけと思っていた。が、再会のシーン。バーのカウンターで居眠りしている時の顔立ちにはマイッタ。『明日に向って撃て!』でスターに躍り出た「旬」の頃の作品。しかも「ケイティを愛しているけど、やっぱり、ついていけない」という男の哀感がオーラに潤いを加えている。
「追憶」
制作国:米、日本公開:1974年。脚本家のアーサー・ロレンツが実体験した学生運動をもとに脚本を書き起こしたラブストーリーの傑作。第二次世界大戦前夜からの20年間に及ぶ男女のロマンスが描かれる。1948年以降西側諸国で行われた「赤狩り(レッドパージ)」を取り扱った初のメジャー作品でもある。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『価値観と視線の錯綜の妙~刑事ジョン・ブック/目撃者(1985年)』
世の価値観は多様である。希少な信徒一派アーミッシュの平穏な生活と、現代のアメリカの暴力的な生活。その対比の中で、ハリソン・フォード扮する刑事ジョン・ブックが殺人犯たちと対決する。
穏やかな心は目でわかる。怒りも目に表れる。アーミッシュをからかう若造をにらみつける時のフォードの目はコワい。冒頭、トイレで殺人事件を目撃した時のアーミッシュの少年サミュエル(ルーカス・ハース)の瞳からはおびえがよく伝わってきた。
アーミッシュの村人総出で納屋を建てるシーンがある。フォードと、ケリー・マクギリス演じる未亡人レイチェルの交錯する視線。ふたりの関係をいぶかしがる村の若者のジェラシー、あるいは疑念に満ちた視線。目のアップが重なり、幾多の視線が錯綜する。言葉はない。つい心中を想像してしまう。
広州アジア大会を取材すれば、アジアの価値観の多様性に驚かされる。選手の目もいろいろあった。サッカー女子の「なでしこジャパン」は決勝で北朝鮮と対戦した。グラウンドレベルに近い席から観戦する。右のCKからMF宮間あやがゴール前に蹴り込み、DF岩清水梓が頭でねじ込んだ。金メダルをもたらす決勝点。確かに宮間と岩清水の目はしかと交錯していた。
チームスポーツの目の動きは興味深い。チームとしての自信、チームワークの強度がよくわかる。アーミッシュを演じた役者たちの穏やかな目の光はどうやって出したのだろう。これも技術か、悪役たちの目はどうしても凶暴に見えるのだ。
鑑賞した50歳代の女性は言った。これが3度目。
「アーミッシュの静かな世界と現代社会のギャップがオモシロい。その違う社会の男女が互いに魅かれ合って、やっぱり別れてしまう。なぜか胸が打たれるのです」
視線でいえば、フォードが、板壁のすき間からシャワーを浴びるマクギリスの裸をのぞくところが好きだ。その目のど助平なこと。同じ男として、ついうれしくなる。
「刑事ジョン・ブック/目撃者」
製作国:米、日本公開:1985年。刑事ものとしてのサスペンス的な展開を中心に、前近代の生活様式を守る人々との異文化交流も描かれたヒューマンドラマの傑作。第58回アカデミー賞作品賞、主演男優賞にノミネートされた。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『まさにスリルとサスペンス~北北西に進路を取れ(1959年)』
そんなバカな、と何度もつぶやく。奇想天外、あり得ない展開がスピーディーに続く。でもオモシロい。またもヒッチコックにやられてしまう。歴代大統領のモニュメントがあるラシュモア山を這って降りる追跡シーンなど、もはや笑うしかあるまい。
美男のケーリー・グラント する広告代理店の社長、ロジャーが、カプランなる人物に間違えられて連行される。カプランは情報部の架空の人物。なぜ。どうして。なぜなのだ。ナゾが膨らむ。ストーリーを生真面に追う映画ファンにはほんと疲れる。
ここからサスペンスの連続である。とくに広々とした農耕地で複葉機に襲われる有名なシーン。グラントがネクタイをばたつかせながら、走って逃げまくる。転んで、地面に伏せる。クローズアップされる必死の形相がこちらの緊張感を高める。そこまでやるか、ヒッチコック!
このサスペンスと疲労感は、ことしの日本シリーズと同じだった。ロッテと中日。史上最長となる延長15回引き分けの第6戦。最終第7戦もスリリングな延長戦となり、我が地元のロッテが逆転で日本一に就いた。
どうなるかわからない。奇跡に近いプレーが続出する。まるでサスペンス映画なのだ。ロッテ主将の西岡剛はさながらグラントか。やわらかい打撃と華麗な守備は、ハリウッドスターのカッコいい動きを連想させる。
マスクはともかく、ふたりの共通点は姿勢の良さである。背筋を伸ばし、立ち姿が良い。グラントの引き締まった上半身もさすがである。
敵か味方か。列車で出あうのが、金髪の美女イヴ役のエヴァ・マリー・セイント。それほどイロッポクはないけれど、なぜか気になるタイプである。グラントが言う。「生き延びたら、一緒の汽車で帰ろう」。セイントが聞く。「お誘い?」。グラント曰く。
「プロポーズさ」
ヒッチコック映画にはスリルだけでなく、微笑を誘うユーモアと気のきいたせりふもついている。
「北北西に進路を取れ」
製作国:米、日本公開:1959年。巨匠ヒッチコックによる、冒険活劇的なアクションミステリー。主人公が予期せぬトラブルに巻き込まれるというヒッチコック・サ
スペンスの王道であり、彼の映画特有のお約束に満ちた、集大成的な作品ともいえる。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://
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『スリルとウイット、せりふの妙味~裏窓(1955年)』
ヒッチコックだもの、ストーリーはスリリングに決まっている。限られた空間のドラマは、場面の一つひとつが緻密に計算されつくされている。とくに細部がうまい。左足を骨折したカメラマンのジェフに扮するジェームズ・スチュワートの額の汗粒、目の動きのアップが、見る者の心を妙に粟立たせる。
笑ったのが、スチュワートが細い棒で左足のギプスの中を掻くところだ。経験のある人ならわかるだろう。かゆくて、かゆくて。我慢する時の目、棒が届いた時の恍惚とした表情がとてもいい。
なんと言っても設定が絶妙である。要は殺人事件なのだが、ニューヨークの裏窓から見える暮らしはバラエティーに富んでいる。苦悩する作曲家やグラマーなバレーダンサーが住んでいる。いつもベランダで寝る夫婦も、ひとり寂しくディナーを食す女性もいる。
いつのまにか、観客はジェフの視線を通して、のぞき見気分に浸っていく。ある雷の鳴った夜、ジェフと一緒に中年セールスマンの不審な行動を目の当たりにする。包丁、トランク、深夜の外出。だれだってこいつが妻を殺したと思ってしまう。
さあ、どうなる。このドキドキ感は、プロ野球を見る時によく味わう。自分がベンチの監督になっているのだ。中でもID野球で鳴らした野村克也監督の野球が好きだった。
データを集めて分析し、それを試合に生かす。
映画のジェフ同様、野村監督の言葉もおもしろい。試合後のぼやきは味わい深いものがある。ジェフもテンポよくせりふを吐く。グレース・ケリー演じるリサとキスをしながら、「なぜ、男はアパートを3度も出て行ったのか」などと「なぜ」「なぜ」と繰り返す。こちらの不安も膨らむのだ。
ラストのオモシロさは、ヒッチコック映画の十八番だろう。それにしてもスチュワートの裸の上半身はちょっと情けない。対するケリーの上品な美貌と肉体は垂涎ものである。
「裏窓」
製作国:米、日本公開:1955年。ミステリー映画の重鎮ヒッチコック監督による、いわゆるワンセットドラマの傑作。「アメリカの良心」ジェームズ・スチュワートは安定感抜群、「ダイヤルMを回せ!」に続いて登場のグレース・ケリーは清楚な魅力に満ちあふれている。女優の扱いに定評のある同監督の面目躍如たるところだ。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

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『希望。そして挑戦魂~明日に向って撃て!(1970年)』
やはりこのオトコマエ・コンビは良い。強盗団のリーダーのお茶目なブッチを演じるポール・ニューマンと、その相棒サンダンス役のロバート・レッドフォード。希望という明日に向かってふたりで突き進む。
中学時代に初めて見た時は早撃ち名人のレッドフォードにあこがれたけれど、何度も見るうちにニューマンにすっかり魅了された。よくみるとニューマンの方が断然カッコいい。保安官に追い詰められて、崖から河に飛び降りる時、抵抗するレッドフォードが打ち明ける。「おれは泳げないのだ」と。ニューマンが白い歯を見せて豪快に笑う。愉快だ。
スポーツで名コンビといえば、バドミントンの美人ペア「オグシオ」だった。冷静な潮田玲子がニューマンなら、豪快なスマッシュを打ち込む小椋久美子がレッドフォードといったところか。性格も対照的ながら、試合での呼吸はピタリと合っていた。
北京五輪で取材した。ポイントをとった時のふたりの笑顔もいいけれど、窮地に追い込まれたときの必死の顔がまたたまらない。ミスをしても、互いに声を掛けて励ましあう。ニューマンとレッドフォードが逃亡するときと同様、ふたりの真剣な目には「希望」の光がみえる気がしたものだ。
40歳代の夫婦に感想を聞く。「懐かしかった。このコンビは外れない」とため息をつく夫。妻が言う。「ニューマンの愛きょうと、レッドフォードのクールさ。どちらも男性に求める要素だと思います。私もキャサリン・ロスみたいに自転車に乗せてもらいたい」と。
なるほどバート・バカラックの「雨にぬれても」の音楽をバックに、友人エッタ役のキャサリン・ロスがニューマンと「未来」と称する自転車に乗るシーンは印象的である。楽しく優雅。こちらも幸せな気分になる。
オグシオは試合を捨てない。ニューマンとレッドフォードも人生をあきらめない。映画の明るさと爽快感は、この一貫した挑戦魂からきている。
「明日に向って撃て!」
製作国:米、日本公開:1970年。反体制的な若者たちを描くアメリカン・ニューシネマの傑作として高い人気を誇る。実在した2人組の銀行強盗をモデルにしている。第42回アカデミー賞4部門、70年度英国アカデミーでは9部門を受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

写真=BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID © 1969 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.
『騙される快感~スティング(1974)』
何度見ても、痛快である。騙し騙されるシナリオは熟知している。でも、またもポール・ニューマン扮する大物ギャンブラーと、ロバート・レッドフォード演じる詐欺師の息のあったコンビに一杯食わされた。
列車のポーカーのシーンはハラハラする。イカサマの応酬となる。ロバート・ショウ扮する大親分が9のフォーカードを出すと、ニューマンがジョーカーのフォーカードを返す。お見事! 客席から拍手がわき起こった。
大掛かりなペテンの準備が軽快なラグタイム・ピアノの調べに乗って進む。超一流の殺し屋サリーノの正体にも驚く。もちろん有名なラストのどんでん返しもスカッとする。
この類の興奮といえば、「運命の日」のドラフト会議だろう。一番びっくりしたのが1985年のそれだった。甲子園のヒーローの桑田真澄と清原和博のPLコンビ。早大進学を表明した桑田が巨人に指名され、巨人に憧れていた清原は西武に入ることになる。
それぞれの顔が心に残る。会見の桑田は淡々とし、清原は目に涙をためていた。会場のテーブルの巨人・王貞治監督は満面の笑みだった。巨人に騙されたメディアは騒然となり、一般の人々は残酷なドラマに切なくなった。ただドラフトの後味は悪かったけれど、この映画の後味は愉快なのである。
結局、観客は騙され続ける。初観賞の33歳の男性は言った。
「完全にやられました。ずっとドキドキしていた。役者がカッコいい。とくにニューマンがシブいですねえ」と。
やはり年輪の差か。ニューマンの演技は脂が乗っている。右人差し指で鼻の横をなでる合図の仕草はよくマネをしたものだ。
二日酔いの演技もうまいと思う。苦しそうに顔を歪め、砕いた氷塊をぶちこんだ洗面台に頭を突っ込む。こちらの脳天までキーンとなった。
また地味ながらショウの騙されたときの表情もリアルである。目に怒りが走る。ドラフトのときの清原同様、騙された者の目がその深刻さを物語るのである。
「スティング」
製作国:米、日本公開:1974年。『明日に向って撃て!』の監督・出演トリオが再び集結した、ピカレスク映画の至宝。詐欺師たちによる復讐劇は予測不能の展開をみせる。アカデミー賞7部門を受賞。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=THE STING © 1973 Universal Pictures. All Rights Reserved.
『物語を創造する歓び~映画に愛をこめて アメリカの夜(1974年)』
映画の監督ほど、つらくて愉しい商売はないのだろう。映画監督役で自ら出演する監督のフランソワ・トリュフォーが言う。「監督とはあらゆる質問を受ける人種である」と。
監督はまた、すべての責任も負っている。ワガママな俳優をなだめ、スタッフ間のもめごとの相談にものる。もちろんオモシロい映画を演出しなければならない。ヒロインを演じるジャクリーン・ビセットの顔の向きを変え、手の握りも指導する。左耳に補聴器。静かに振る舞いながらも、いつだって画面のトリュフォーは存在感に満ちている。
この存在感、プロ野球中日の落合博満監督と似ている。「オレ流」で選手に休みなしの猛練習を課し、チームをリーグ制覇に導いた。ベンチではほとんど動かない。薄くなった頭髪をみれば、気苦労も多いのだろう。意外に繊細な神経をしているのだと思う。
勝利の後だけ、落合監督はふっと笑う。それぞれ異なる報酬のプロ選手を束ね、試合でドラマを演出する。プロ野球の監督も映画監督も、現場での力は絶大である。みんなの生活を預かっている。だから畏怖される。
冒頭のロケのシーンから、観客も映画づくりの現場に引きずり込まれてしまう。鑑賞後、24歳の映画館勤務の男性は言った。「映画の特殊技巧や構成の仕方がよくわかる。映画ってみんなで作り上げられているのですね。監督をしたくなりました」と。結局はチーム。映画も野球もひとりではできないのだ。
タイトルの『アメリカの夜』って何かと思ったら、赤いフィルターをレンズにつけて昼間の撮影でも夜間のように見せる手法のことだった。即ち、映画では現実と虚構が混在する。男女関係もどれがホンモノで、どれがウソかわからなくなる。
間違いないのは、みんな映画が好きだということである。「カット!(終わり)」の声が飛ぶと、トュフォーの口元がふっと緩む。いい顔だ。ついこちらもうれしくなる。
「映画に愛をこめて アメリカの夜」
製作国:仏・伊、日本公開:1974年。ヌーヴェルバーグを代表する名監督フランソワ・トリュフォーがみずから主演を務め、架空の映画の撮影風景を追う形でスタッフやキャストが直面する問題を描いていく異色作。アカデミー賞では外国語映画賞を受賞した。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

写真=LA NUIT AMÉRICAINE © 1973 Les Films du Carrosse & PECF & Produzione Intercontinentale Cinematografica. All Rights Reserved.
『純粋な心に泣く~ニュー・シネマ・パラダイス(1989年)』
憧れとは、純粋な心である。少年サルヴァトーレ・カシオ扮する"トト"が通う映画館『パラダイス座』には、人々の憧れとノスタルジーと夢がつまっていた。
誰だって、何事にもまっすぐな少年時代がある。だから、この映画に泣く。上演後、出口で見れば、ほとんどの人が両目を赤くはらしていた。50歳の男性もしかり。
「いい。やさしさと愛に満ちている。けがれのない子ども時代、恋に落ちる青年時代。懐かしいなあ。ぼくも映画館に通ったクチなんです」
ぼくもそうだ。福岡の小学校2年か3年の頃、夏には原っぱで屋外上映会なんていうのもあった。蚊に刺されながら、映画を友だちと見た。タイトルは忘れたけれど、青白い映像の光線と高揚感はおぼえている。
『パラダイス座』の観客はみな、貧乏である。でもどの顔も活力と喜びに満ちている。冒頭、黒幕の間から映画を盗み見るトトの表情がとてもいい。恍惚とした半開きの口で、どんぐりマナコがキラキラと輝いている。
この類の目、スポーツでもよく見かける。例えば昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の、"ムネリン"こと川崎宗則(福岡ソフトバンクホークス)の目である。イチローの追っかけを自任し、子どもみたいにはしゃいでいた。
川崎は13歳の時、田舎の鹿児島でイチローのプレーを目の当たりにする。すぐにマネして左打ちに変え、イチローのビデオ、ポスターを見続ける。やがて「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれることになった。憧れって、生きるエネルギーになるのだろう。問題は子ども時代の純粋な心と情熱を持ち続けることができるかどうか、である。
映画館が火事になった時、少年トトが映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)を必死に助ける。青年時代のトト(マリオ・レオナルディ)が恋する女性の家の下の路地裏に毎晩、立ち続ける。そのひたむきな姿にぼくは心を揺さぶられたのだった。
「ニュー・シネマ・パラダイス」
製作国:伊・仏、日本公開:1989年。本国イタリアでの公開当時こそ興行成績は振るわなかったものの、アメリカや日本など海外で大ヒットした、ノスタルジックなヒューマンドラマの傑作。1989年にカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

写真=c 1989 CristaldiFilm
『兄弟愛と価値観の相違を考える~レインマン(1989年)』
兄弟といえども価値観はちがう。人生もちがう。やり手の中古車ディーラーの弟チャーリーを演じるトム・クルーズと、天才的な記憶力を持つ自閉症の兄レイモンド役のダスティン・ホフマン。いつ心が通じあうのか、見ているこちらが不安になる。
チャーリーみたいなアメリカ人は大嫌いである。口がうまく、平気でウソをつく。癇癪をおこし、大声でどう喝する。金がすべてと思いこみ、打算的に生きようとする。こんなイヤな役をクルーズが熱演する。兄にイライラする時の仕草など、努力の跡がみてとれる。
それでもホフマンの方が一枚ウワテなのだろう。自然なのだ。自閉症の様子が少しも演技っぽくはない。目を相手に決して合わせず、何かの拍子に取り乱す。おびえた目つき、首を右にかしげながらひょこひょこ歩く姿など、胸が少し痛くなる。
できれば兄弟は仲良くやってほしい。不仲だと両者が不幸になる。スポーツで兄弟というなら、大相撲の若貴兄弟が思い浮かぶ。父の死に際し、兄弟の確執が明るみとなった。社交的でビジネス界、芸能界で生きる兄の花田勝(元横綱若乃花)と、相撲界にとどまった不器用で一途な弟の貴乃花親方。価値観の違いだろう。悪口、自己主張を繰り返す両者の姿は悲しいものがある。
若貴兄弟も、映画の兄弟も小さい頃は心が通じ合えていた。チャーリーの子ども時代のヒーロー、『レインマン』とはじつは兄のことだった。レインマン(雨男)の歌を歌ってくれていたのだ。それを知ったときのクルーズのがく然とした顔がいい。
上映後、映画通の50歳代の男性はタオルで涙をぬぐっていた。「二人ともやっぱり、タダ者ではない。音楽も映像も美しくて......」。とくにホフマンが噴水のあるラスベガスのローターリーで車を運転し、縁石にタイヤを乗り上げるシーンで一番泣いたそうだ。
その時、兄弟の心が通じ合っていたからだろう。今も昔も、家族愛や兄弟愛は生きていく上で大切な要素なのである。
「レインマン」
製作国:米、日本公開:1989年。重い自閉症を患った兄を演ずるダスティン・ホフマンと、屈折した感情を抱きながらも次第に人間的に変わってゆく弟役のトム・クルーズの演技が冴え渡る。展開の巧みさと美しいシーンの連続で観る者を感動へと巻き込んでいくヒューマンドラマの傑作。アカデミー主演男優賞、作品賞、脚本賞、監督賞の4部門受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)

写真=RAIN MAN © 1988 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
『親子愛へのあこがれ~クレイマー・クレイマー(1980年)』
歳をとると涙もろくなる。純粋な親子愛を信じたくもなる。離婚、子育て、親権訴訟......。確かに陳腐なヒューマンドラマであるけれど、一流の役者がこまやかな演技で僕らの涙腺をいたく刺激するのである。
夫のテッドを演じるダスティン・ホフマンも、妻ジョアンナ役のメリル・ストリープもうまいなあ。とくに悲哀を感じさせる表情がいい。息子役のジャスティン・ヘンリーの澄んだ瞳にもつい引き込まれてしまう。
いつのまにかテッドに自分をだぶらせる。自己中心的で仕事一筋、時にカッとなる。でも子どもを愛する。突然、妻が子どもを残し、家を飛び出したらどうするのだ。会社をクビになったら。親権訴訟を受けたら。フレンチ・トーストを焦がせて、フライパンに八つ当たりする時のホフマンの表情が切なかった。
ベッドでいじける息子に対し、ホフマンはなぜママが家を出たのかを小声で説明する。「おまえじゃなく、パパのせいなんだ」。そう言って、涙をぬぐう息子をしかと抱きしめる。中年男の悔恨である。
親子愛といえば、ボクシングの亀田父子を思い浮かべる。離婚後、父の史郎は3兄弟と娘の4人を男手一つで育て上げる。父子の夢が「世界チャンピオン」だった。夢を果たし、粗野な史郎が世間にボロクソにたたかれた時、僕は長男の興毅にインタビューしたことがある。興毅は言った。「おやじはほんまに世界一なんや」と。なぜか感動した。
亀田親子にしても、この映画のテッドと息子にしても、苦境の中で懸命に生きようとする親子の姿と絆には胸を打たれるのだ。
20歳代のカップルに聞けば、裁判シーンでは男性がテッドに、女性はジョアンナに感情移入していた。男は続ける。「みんな表情が豊か。やっぱり親子っていいですね。ただストーリーは"ベタ"でセンチ」と。
感傷的であるけれど、ただ甘いだけの映画ではない。育児と仕事の両立。夫婦の自立。いろんなことを考えさせてもくれる。
「クレイマー、クレイマー」
製作国:米、日本公開:1980年。仕事一筋の男とその家族を通して、離婚や子供の養育権といったテーマを絡めつつ家族愛のあり方を描く、ハートフルな人情ドラマ。アカデミー賞作品賞など5部門受賞、ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞受賞。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=© 1979 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
『上等な料理を目で味わう幸福~バベットの晩餐会(1989年)』
食欲の秋である。おいしいモノを食べると幸福になる。いや見るだけでもうれしくなる。個性派女優ステファーヌ・オードラン扮するバベットから饗宴を受けているような気分になった。とてもハッピー。
圧巻は、やっぱり晩餐会のシーンである。とびきり上等の食材をパリから取り寄せ、バベットが海亀スープやキャビア、ウズラ、トリュフなどを料理していく。燃え上がる炎、ジュ~と肉が焦げる音、煮立つ鍋の音がこちらの食欲をさらにそそる。
赤ワインのテイスティングをする際のバベットの真剣な眼差しもいい。包丁さばきは美しい。スポーツでいえば、バレーボールの"世界一小さな大セッター"、竹下佳江のトスさばきをみるかのようである。
時に大きく、時に素早く、ボールを動かす。多彩な移動攻撃を演出し、竹下は名シェフのごとく、ゲームを料理する。相手ブロックを翻弄する。いろんな味付けで、観客を魅了するのだ。竹下もバベットも、自分の仕事を終えると、顔に深い充足感を浮かべる。その抑制を利かせた微笑がたまらなくいい。
「映画言語の極みです」と、映画通の51歳の男性は鼻下に汗の粒を浮かべた。「含蓄ある言葉はもちろん、迫力ある調理場面、美しい映像、上質の音楽......。視覚面が絶品です。若かった公開時より今回の二度目のほうがぐっときました」
なるほど、見る側の人生経験もある程度、必要なのだろう。晩餐会のゲストたちがご馳走を食するうちに幸せそうな顔に変わっていく。口げんかしていた人々が互いに談笑するようになる。ほとんど死にそうだったバアさんの顔に生気がよみがえる。
「名シェフは食事を恋愛に変えることができる」と将軍(ヤール・キューレ)が呟く。未婚を通す年老いた姉妹の優雅なしぐさも心を和ませる。静かな展開ながら、ペーソスと美しさに包まれた完成度の高い作品である。
「バベットの晩餐会」
製作国:デンマーク、日本公開:1989年。漁村風景や晩餐の様子などを淡々と素朴に描写する中で、人生の幸福をさりげなく描く手法が高い評価を得て、アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した。他にも1989年の英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)最優秀外国語映画賞をはじめ、世界各国の映画賞で作品・監督・主演女優の賞を獲得。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=BABETTE'S FEAST © 1987 A-S Panorama Film International. All Rights Reserved.
『美に酔う~眺めのいい部屋(1987年)』
上演後、アラフォーの女性は子どものように笑った。「この映画、すべてが女の子のあこがれなの。キレイな服を着て、ステキな恋をして、美しい自然の中で過ごす。草原で突然、キスをされるシーンもドキドキする。運命を感じます。要は美ですよ、美」
美を競うスポーツなら、女子フィギュアスケートであろう。例えば、ハタチの浅田真央。無邪気な仕草と美しさ、勝負への執念、気の強さが同居する。技術的にも芸術的にも優れている。特に情感あふれる表情がよくなった。イロッぽくなった。
映画のルーシー同様、可憐な女には涙も似合う。バンクーバー五輪で銀メダルに終わった浅田は悔しさのあまりに涙を流した。マスカラが落ちて、黒い涙となっても健気に受け答えした。あの時、テレビの前で少なくない人々がもらい泣きしたのではないか。
気丈なルーシーも涙を流す。突然キスをされて恋に落ちたジョージ(ジュリアン・サンズ)が引っ越すとき、ルーシーは悲嘆に暮れるのだった。実は少し胸がジ~ンときた。
ストーリーは陳腐である。冒頭、ルーシーは旅先のイタリアの宿で「川側の景色がみえない」と駄々をこねて、ジョージ親子の眺めのいい部屋と交換してもらう。高慢ちきな女だ、と思う。でも許す。美しいから。
ジョージが叫ぶ。「めぐりあえただけで奇跡なんだ。幸運なんだ。僕らは引き裂かれるべきじゃない」と。宝塚ばりのロマンスである。
映像美でいえば、ジョージら男3人が素っ裸となり湖ではしゃぐ場面がある。たしか日本公開時やビデオではカットか、男の局部にはボカシが入っていた。モロ見せだけど、こちらの方が無粋ではない。

製作国:英、日本公開:1987年。イギリスの作家E・M・フォースターの同名の小説を、ジェームズ・アイヴォリー監督が手がけたラブロマンスの傑作。アカデミー賞では8部門にノミネートされ、脚色賞、衣装賞、美術賞を受賞した。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=A ROOM WITH A VIEW © A Room With A View Productions Ltd.
『スケールの大きさ。英雄の自信と怖れ~アラビアのロレンス(1963年)』
スケールの大きさに、ぶっ飛ぶ。大画面いっぱいに広がる灼熱の砂漠と米粒ほどのラクダ。砂漠の地平線にゆらゆらと立つ蜃気楼。赤い砂嵐。黒い竜巻。巨大な岩山の群れ。これが実写とは信じられない。
ぎらつく太陽も圧倒的である。死の砂漠の横断。暑い。こちらのノドの奥も乾いてくる。エアコンがきいているのに、隣の客席のご婦人は扇子でばたばたとあおいでいた。
もちろん、4時間の長尺、ドラマのスケールもでかい。イギリス将校ロレンスに扮するピーター・オトゥールの自信と怖れの表情の作りがうまい。例えばオスマントルコを攻略するため、攻撃地点を決意する時の迫力。コメカミをぶるぶる震わせながら、右こぶしを握り、「アカバ!」と発するのだ。
英雄や一流の指導者とは顔に生命力をたたえている。信念がにじみでる。スポーツの世界でも時折、目にする。シンクロナイズドスイミングのカリスマコーチ、井村雅代も迫力がある。孤立を恐れない。我が道をいく。
「困っている隣国を助けなアカン」。日本の反対を押し切り、中国代表のコーチを請け負い、北京五輪で同国初のメダルをもたらした。この9月、再び中国に渡った。とことん頑固。物事を決断する時の目のすごみは、オトゥールのそれである。
オトゥール演じるロレンスはアラブの英雄となり、独立闘争に酔っていく。神経が衰弱し、狂気に走る。自分の力がコワくなる。疲弊したオトゥールの顔が悲しい。最後はアラブからも英国軍からも邪魔者扱いされる。
ハタチの女性は言った。「これはロレンスの悲劇ですよね。ちょっと泣けてきました。でも大画面の映像がきれい。広大な砂漠に太陽が昇るシーン。砂漠を旅したくなります。壮大な音楽もよかった」と。
大自然と人間の葛藤。英雄も名指導者も時に自信を膨らませ、時には怖れを抱く。その心の揺れが僕にはスリリングであった。
「アラビアのロレンス」
製作国:英、日本公開:1963年。イギリスの名匠デビッド・リーンによる、実在した軍人の伝記をもとにした大長編スペクタクル。上映時間は200分以上(公開国などによって微妙に異なる)。一面の砂漠を舞台としながらも映像美に満ち、モーリス・ジャールによる楽曲もすばらしい。アカデミー賞7部門を受賞している
。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=© 1962,1989 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
『圧倒的な迫力とスピード感。そして人間の葛藤~ベン・ハー(1960年)』
確かに4時間は長い。だが観終わると、深い幸福感につつまれる。実写ならではの迫力と巧みなストーリー、そしてベン・ハーを演じるチャールトン・ヘストンの演技と肉体美......。超一流のスペクタクル作品は何十年経ってもちっとも色あせないのだった。
ハイライトはもちろん、チャリオット(戦闘馬車)の決闘シーンである。時間にしてわずか十五分弱。白馬の四頭立てのベン・ハーの二輪馬車が砂煙をあげながら疾走する。スティーブン・ボイド演じるメッサーラの馬車の仕掛け刃物がベン・ハーの車輪をガガガガガーッと壊していく。汗と鮮血が飛ぶ。揺れる映像。大音響。自分が馬車に乗っているかのような錯覚をおぼえる。
このスピード感とスリル。まるでF1の名勝負、アイルトン・セナとアラン・プロストのレースを見るかのようだ。忘れもしない1988年の鈴鹿サーキットの日本GP。エンジントラブルで出遅れたセナが猛烈に追い上げ、最後にプロストを抜き去り、雨中の大逆転勝利で初のワールドチャンピオンに輝いた。
このレースを伝説としたのは、セナとプロストのライバル物語が伏線にあったからだろう。ベン・ハーとメッサーラもしかりだ。幼なじみの親友が民族の違い、生き方の違いで憎しみ、殺し合う。この映画のミソも二人の葛藤と心理描写にある。
「オモシロかったなあ」と67歳の男性はつぶやく。「そりゃ戦闘馬車の決闘シーンの迫力は圧倒的だよ。でも、僕はそれよりキリストの絡みにじ~んときた。"憎しみからは何も生まれない。人は許される"って」
同感である。ベン・ハーの表情が次第に変わっていく。憤怒と殺意に満ちていた目がおだやかになる。奥歯をかみしめた口元のゆがみが消える。リアルな名演技である。
そういえば、奴隷となったベン・ハーはのどの渇きで死にそうな時、「神よ、救いたまえ」とうめく。のちのキリストから水をもらい、命をとりとめる。敬虔なクリスチャンのセナも鈴鹿で勝った時、「神を見た」と漏らした。宗教的な色合いが、この映画もF1の名勝負もより味わい深いものにしている。
「ベン・ハー」
製作国:米、日本公開:1960年。19世紀末のルー・ウォーレスの小説「ベン・ハー」は幾度も映画化されているが、本作は1959年版、3度目の映像化作品となる。ダイナミックな演出と映像美で観客を圧倒するスペクタクル巨編だ。アカデミー賞史上最多の11部門を受賞。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真= BEN-HUR © 1959 Loew's Incorporated. All Rights Reserved.
『スピードと恐怖の不思議な悦楽~激突!(1973年)』
さすがスピルバーグといったところだろう。まだ25歳の時のサスペンス・カーアクションである。何が起こるかわからない恐怖、スピード感あふれる撮影テクニックで観客をぐいぐい引っ張っていく。
この映画が公開された頃、日本では『ローラーゲーム』なる物騒なスポーツが流行っていた。中学時代の僕は夢中になった。スケートのショートトラックとホッケーとローラースケートをミックスさせたようなエンターテーメントだった。
僕らのチームが「東京ボンバーズ」。長い黒髪の女性ローラーの佐々木ヨーコが、バカでかいアメリカ選手の妨害をすり抜けていく。ミッキー角田もスケーティングがうまかった。髪をひっぱる、殴る、蹴るの乱闘シーンにテレビ桟敷でアツくなったものだ。
あのオモシロさは何だったのか。信じられないほどのスピードと予測不能のハプニングの連続。この映画と同様、危険をすり抜けてのゴールにあった。正義は勝つのだ。
原題の『DUEL』を直訳するなら「決闘」だろう。ハイウエーで狂気の大型タンクローリーに絡まれる。だれにでも起こりうるシチュエーションが臨場感を醸し出す。米国で生活した4年間。2、3度、大型トラックにあおられて身の危険を感じたことがある。
平凡そうなデニス・ウィーヴァー演じる不幸なサラリーマンのおびえる目に共感をおぼえる。タンクローリーの殺人運転手の顔が最後まで見えないところも不気味だ。62歳の男性はうなる。「スピルバーグの娯楽性の原点ですね。次作の『ジョーズ』のように計算された展開。ハラハラドキドキの恐怖。圧巻のラストシーン。どれも完ぺきです」と。
決闘が終わる。どうしたって自身が疲労困憊のサラリーマンとだぶる。背中が冷や汗でびっしょりとなった。南カリフォルニアの雄大な夕陽が画面いっぱいにひろがる。客席のあちこちからフーっという安堵のため息が漏れたのだった。
「激突!」
製作国:米、日本公開:1973年。もともとは無名時代のスピルバーグがテレビ放映用に監督した作品で、日本やヨーロッパでは劇場公開された。スピルバーグ監督の天才的演出が冴え渡り、運転手が姿をまったく見せないために大型トレーラー自身が生きているかのように主人公と観客に迫り来る。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=DUEL © 1971 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
『リアリティーゆえの迫力~十二人の怒れる男(1959年)』
アツい。暑苦しい。息が詰まる。真夏の閉じられた部屋。12人の陪審員の額に汗のツブが浮かぶ。シャツも汗で濡れ、目に怒りが満ちてくる。このリアリティー。この迫力。映画館で見ているこちらもゾクゾクする。
法廷劇の傑作である。レジナルド・ローズの脚本の勝利である。うまい。会話や流れの妙に引き込まれてしまう。中心がヘンリー・フォンダ演じる陪審員8番の「良心」。有罪(死刑)に確信が持てないとひとり無罪を主張する、その強じんな意志である。
スポーツのキャプテンもまた、孤立を恐れない意志が求められる。女子バレーボールは補欠を入れて1チームが12人。2003年。全日本女子は長い低迷に沈んでいたとき、柳本晶一新監督はベテランの吉原知子を全日本に復帰させ、キャプテンに据えた。
シドニー五輪出場を逃し、「負け犬」と化していた全日本は何事にも弱気だった。ただ闘将吉原はその雰囲気に怒り、五輪メダルを信じ、時には早朝4時半から自主練習を始める。熱気が充満する体育館。他のメンバーも迫力に押され、最後は全員が自主練習するようになる。戦う集団に変ぼうする。
ついにアテネ五輪出場をつかむ。全日本の合宿を取材するたびに感じた息苦しさは、この映画にも共通するものだった。闘将の五輪への執着と陪審員8番の真実へのこだわり、全日本メンバーと陪審員たちの心の揺れ、葛藤。最後は全員がひとつになる。そこに何とも言えない爽快感をおぼえるのだ。
「オモシロかった」と夫婦は声を合わせた。40代の夫は「理論派がいれば、感情的な人もいる。顔のアップとせりふの迫力に圧倒されました」と言えば、30代の妻もしきりにうなずく。「ひとり一人の性格付けがしっかりしている。陪審員制度のやり方、危うさもよくわかりました」
そうなのだ。日本でも導入された裁判員制度。法務省はこの映画をPR代わりに国民に見せればいい。「偏見は真実をくもらせる」とのH・フォンダの言葉は裁判の金言であろう。
「十二人の怒れる男」
製作国:米、日本公開:1959年。いわゆる「法廷劇」の代名詞ともいえる、密室ドラマの金字塔。もとはテレビドラマとして製作された作品で、陪審室のみを舞台とする密室劇ながら、スクリーンでもまったく遜色ない傑作に仕上がっている。低予算でもこれだけの映画が作れる、というお手本のような作品だ。
午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=12 ANGRY MEN © 1956 Orion-Nova Productions. All Rights Reserved.
『夏はスリル満点なドラマが一番~ミクロの決死圏(1966年)』
ニッポンの夏。猛暑の夏。こんな時はスリリングなSF冒険ものに限る。原題の『ファンタスティック・ボヤージ』のタイトル通り、幻想的なミクロの世界が広がる。人間が細菌サイズに小さくなって患者の体内を旅するのだけれど、まるで夢の宇宙空間を冒険しているような錯覚をおぼえる。
夏のスポーツといえば、高校野球の甲子園である。どれもスリル満点、ドラマチック。一番の思い出は1984年夏の決勝戦だった。常勝のPL学園が延長の末、取手二高に敗れた。予想外だった。3塁側アルプススタンドの最上段からグラウンドをみると、選手がミクロのような「点」でみえていた。
注目がKKコンビ。2年生のエースの桑田真澄も主砲の清原和博もなぜか力を発揮できず、緊迫した試合の結果、力尽きたのだった。試合後、ベンチ裏に飛んでいくと、桑田は放心状態で、清原は大声で号泣していた。あのときの胸の痛みを忘れない。
甲子園を筋書きのないドラマとはよくいったものだ。だからオモシロい。この映画とて、ミクロ大の治療部隊が体内に潜入するという奇想天外な発想から、何が起こるかわからないサスペンス仕立てとなっている。とくにナイスバディの助手(ラクエル・ウェルチ)が異物とみられて抗体に攻撃されるときはハラハラドキドキした。
治療部隊のエースが「ベンハー」のスティーブン・ボイド演じる情報部員グラントである。桑田のような冷静さでピンチを救っていく。観賞後、20歳代の医大生は言った。「"そんなバカな"と笑ったシーンもある。医学的に怪しいところもあったけれど、人間の体の不思議な機能がよくわかる。ぼくは宇宙でなく、光ファイバーを使って体内探検したくなりました」と。
人間のからだは宇宙の中心。人間の思考は宇宙の輝き。そんな意味深なせりふもいい。最後、絶体絶命のピンチを患者の涙が救う。真っ黒に日焼けたした球児もよく泣く。映画も甲子園も涙が新たな感動を生むのである。
「ミクロの決死隊」製作国:米、日本公開:1966年。体内というミクロ世界を舞台にした、手に汗握る名作SFファンタジー。独創的な世界観とアイデア、緻密かつ大胆なプロットで、後のSF映画・テレビに多大な影響を及ぼした。グラマー女優ラクエル・ウェルチをメジャーにした作品でもある。(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
FANTASTIC VOYAGE © 1966 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.
『難解ゆえのオモシロさ~2001年宇宙の旅(1968年)』
何回見ても不可解である。理解しようとすればするほど、頭がこんがらがってきてしまう。とくに目の瞳孔のごとき、スーパーコンピューター(人工知能)HAL9000の黄色と赤色の点が不気味である。
テーマは「人類の進化」なのだろう。類人猿が謎の物体モノリスに触れ、道具と武器を知る。進化が始まる。白い骨が一転、スローモーションで2001年の宇宙船へ変わる。ハッとする。
壮大なテーマ曲にのって、場面が宇宙時代にとぶ。ケア・デュリア演じるボウマン船長は宇宙探査機の頭脳、HALの反乱にあい、怒って論理記憶端末を抜いてしまう。「コワい。コワいです」のHALの言葉がコワい。その時のボウマン船長の目には強い意思と冷徹な光が宿っているのだった。
沈着冷静な目といえば、天才将棋棋士、羽生善治のそれである。深い読みから力強い受けを見せ、時に重厚な攻め、時には高速の寄せ手を見せる。ピンチでも顔色を変えず、熟考する時の目に背筋がぞくっとする。
羽生は情報化社会の知識や計算に打ち勝つものは「決断力」という。高性能のコンピューターチェスみたいに、例えコンピューター将棋があっても、羽生なら負けないのではないかと思う。羽生もボウマン船長も目に強じんな精神力を漂わせているからだ。
上映後、映画館の出口に立てば、ほとんどの人が顔をゆがめていた。「わからない」「催眠術みたい」とため息をつく。48歳の男性は右手を激しく横に振った。「確かに映像はきれい。でも監督のキューブリックのメッセージがわからない。進化ってナニ、宇宙ってナニって考えた。もちろん40年以上も前にこの映画を作ったのは大したものだけれど」
そうなのだ。科学が発達するというのは、より考えるということなのだろう。いや考え続けるからこそ、ついに宇宙時代がやってきた。不思議な疲労感。宇宙映画も将棋も考えさせられるから、なぜかオモシロいのだ。
「2001年宇宙の旅」
製作国:米、日本公開:1968年。SF映画界に燦然と輝く金字塔。監督を務めた鬼才スタンリー・キューブリックが、SF作家の大御所アーサー・C・クラークとともに脚本も担当し、宇宙の叙事詩を高らかに謳いあげた。(「午前十時の映画祭 何度見
てもすごい50本」解説より。公式HP:http://asa10.eiga.com/)
© 1968 Warner Bros. Entertainment Inc.
『クールさと強じんな精神力が魅力~ライトスタッフ(1984年)』
ロマンである。音速挑戦も宇宙飛行も超人プレーも。サム・シェパード扮するチャック・イェーガーが人類初の音速飛行を成功させたとき、なぜかNBAの"エアー・ジョーダン"ことマイケル・ジョーダンの有名な「ザ・ラスト・ショット」を思い出した。
1998年のNBAファイナル第6戦、ブルズは米ソルトレークシティーでジャズと戦った。ジョーダンは相手ボールをスティールし、ドリブルで運び、ジャンプショットを放った。残り5・2秒の逆転劇。コートサイドのぼくは「神業」をみた。夢をみた。
ジョーダンこそ、スポーツ界の真のスーパースターだと思う。抜群の身体能力はともかく、最大の魅力は強じんな精神力にあった。クールな風貌で"クラッチショット"(終了間際のシュート)を決めるのだ。
イェーガーもしかり、である。未知の領域への恐怖に打ち勝ち、ついには音のカベを破る。高速ジェット機の計測器がこわれる。それでも顔色を変えず、歯を食いしばり、前をグッと見据える。うまい。微動だにしない瞳のクローズアップが良い。
この作品のオモシロさは、アポロ計画前の米国の宇宙挑戦をそのまま再現しているところだろう。ソ連に対抗するため、宇宙飛行士の候補が集められる。イェーガーは学歴がないので外される。最後は7人。演技派のエド・ハリス演じるジョン・グレンが言う。「俺たちはいつも100%の力を出す連中だ」と。
男はいつもクールでなければならない。グレンは窮地でも鼻歌を歌い続ける。コックピットが真っ赤に燃えながら大気圏に投入する際、映画館の隣の53歳の男性は体を乗り出していた。「迫力があった。宇宙はみんなの夢でしょ。だれも見たことのない世界に触れることができた。時代の変遷もわかった」と。
同感である。時代の変遷とは、音速挑戦から宇宙飛行へ、の移ろいを指す。職人タイプのパイロットたちのたまり場『パンチョの店』が火事で燃える。焼け跡をひとり歩くイェーガーの顔には哀愁が漂っているのだった。
「ライトスタッフ」
製作国:米、日本公開:1984年。米ソにより世界が二分された冷戦時代を舞台に、二国間の熾烈な宇宙開発競争とそれに関わる人間模様をドキュメンタリータッチで描く、重厚なヒューマンドラマ。トム・ウルフの同名小説を原作とする。アカデミー作曲賞、編集賞、音響効果賞、録音賞の4部門を受賞。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」解説より。 公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=THE RIGHT STUFF © 1983 The Ladd Company. All Rights Reserved.
『天才と凡人の狂気と嫉妬~アマデウス(1985年)』
決してモーツァルティアンではない。でも人間モーツァルトの狂気と鉄火の人生を知ると、ついモーツァルトの遺したクラシック音楽を聴きたくなる。とくにこの映画のテーマ曲に使われた、どこかドラマチックな『交響曲二十五番の第一楽章』を。
モーツァルト、いやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを演じるトム・ハルスは、天才ゆえの無邪気さをよく出している。下品で助平で酒好きで、すぐに甲高い笑い声を響かせる。子どものような目の輝きがチャーミングである。大劇場で指揮棒を振るうときの自信に満ちた目も悪くない。
そして天才モーツァルトに嫉妬する凡人の宮廷作曲家サリエリ(F・マーレイ・エイブラハム)の屈折した視線がたまらない。例えば、劇場の天井際のボックス席の隅に立ち、右手でほおを押し、片眼を歪めてみせる。目に彼への愛憎と己の絶望がにじむ。絶対的な才能はないけれど、才能の良し悪しがわかる人ってつらいのである。
天才にうちひしがれた目は、スポーツ界ではよく遭遇する。思い出すのは、ゴルフの天才タイガー・ウッズが台頭してきた頃のことだ。日本の英雄、ジャンボ尾崎将司はタイガーの才能に驚いた。ふたりは1995年のマスターズでは一緒にラウンドもした。97年、タイガーが史上最年少でマスターズ初優勝を遂げる。その頃、マスターズをよく取材していた。「とんでもない時代がやってきた」とジャンボはもらした。
タイガーのコワいもの知らずの目、そしてジャンボの虚ろな目が今でも印象に残る。タイガーは天才ゆえか、未曾有の女性スキャンダルを起こすことにもなるのだが。
映画館ですっかり顔なじみとなった60歳代の男性は言った。「これでモーツァルトの人となりがわかった。圧巻はふたりの狂気の目。ぼくはサリエリの目のほうがこわかった」と。
そうなのだ。サリエリがモーツァルトに未完成の『鎮魂歌(レクイエム)』の作曲を促すシーン。才能を、血を、最後の一滴まで絞り出せと強要するような迫力がサリエリにはあった。それは殺人者の狂気の目である。
「アマデウス」
製作国:米、日本公開:1985年。原作はブロードウェイで公開された舞台『アマデウス』。映画化にあたり舞台の脚本家自身が映画用に書き起こした。第57回アカデミー賞作品賞など8部門を受賞したほか、英国アカデミー賞など数々の賞を受賞。テンポ、映像、音楽、配役など、総合的な完成度が非常に高く、傑作と称される作品である。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」
公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=AMADEUS © 1984 The Saul Zaentz Company. All Rights Reserved.
『光と影。妥協なしのプロの技~第三の男(1952年)』
映画史に残る名シーンが次々に現れる。観覧車や下水道のシーン、ヒロインが主役ホリー(ジョセフ・コットン)に目もくれずに並木道を立ち去っていくラストシーン。ただ何度目かの観賞とあって、じつは途中で眠りそうになってしまった。モノクロ画面での夜のシーンがおおく、アントン・カラスのチターの演奏も心地よいからだった。
もちろんキャロル・リード監督の傑作サスペンス映画だから退屈はしない。あの有名なシーンではハッと目が覚める。深夜。路地裏の影から、怪優オーソン・ウェルズ演じるハリーの顔がパッと浮かびあがるところだ。
不気味だ。目がコワい。無言で口元をゆがめ、ニヤリと笑う。ハリーは生きていた。その姿にホリーが驚く。スクリーン前のこちらもたじろく。
この迫力。どこか大相撲の怪物、元横綱北の湖(前日本相撲協会理事長)に似ている。彼の現役時代、よく眠い目をこすりながら、三保ケ関部屋の朝げいこを取材した。最後に横綱は静かにけいこ場に現れる。その瞬間、眠気が吹っ飛んだものだ。
憎らしいほど強いと言われた北の湖。「倒した相手が起きあがる際に手を貸さず、背を向けてさっさと勝ち名乗りを受ける」という、ふてぶてしさが好きだった。それがプロの勝負士というものだ。
北の湖同様、ワザへのこだわり、ここぞの集中力、不断の努力がオーソン・ウェルズからも見てとれる。妥協がない。表情や手足の巧みな動きがいい。とくに逃走中、下水道のマンホールの蓋のすき間から突き出た両手の指のタコの足のような動きは圧巻だった。
妻と一緒に観賞した49歳の男性は言った。「ストーリーの展開がゆっくりだった。でも場面の印象が強烈でした。ウェルズが逃げる下水道のシーンはドキドキした」と。
第二次世界大戦後のウィーンの街の荒廃ぶりがよく出ている。光と影の巧みなコントラスト。影があるから、光の部分がより輝く。野球賭博で揺れる角界もまた、似たようなものなのか。
「第三の男」
製作国:英、日本公開:1952年。第二次大戦直後のウィーンを舞台にした傑作サスペンス映画。映画史に燦然と輝く名作として知られ、第3回カンヌ国際映画祭ではグランプリを獲得し、アカデミー賞では撮影賞(白黒賞)を受賞した。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」
公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=© Studiocanal
『セリフはパスサッカーの如し~カサブランカ(1946年)』
まったくお洒落である。役者もストーリーも音楽も。男だったらハンフリー・ボガードに、女の人ならイングリッド・バーグマンに自分をだぶらせたのでないか。
なんといってもセリフがいい。その呼吸は、サッカーのワールドカップ(W杯)優勝のスペインの華麗なパス回しの如しである。リズムと美しさにこだわる。ボガードの言葉はスペインのエース、イエニスタのパスみたいに緩急、長短、角度をつける。ここぞという時には鋭いシュートを蹴りこむ。
反ナチの闘士の妻、イルザ役のバーグマンのそれは、スペインの得点王、ビリャの急加速ドリブルみたいにストレートである。ボガードもバーグマンもパスサッカー同様、意外性や柔軟性(=ウイット)にも富むのだ。
例えば、ドイツ将校から「ナショナリティ(国籍)?」と聞かれて、アメリカ人リックに扮するボガードは真顔で答える。「ドランカード(酔っ払い)」と。クスッとくる。
ものすごく有名なセリフだけれど、やはりボガードのこのやりとりはいい。
「昨夜、何していたの?」
「そんな昔のことは忘れたね」
「今夜、会ってくれる?」
「そんな先のことはわからない」
ハードボイルドの極致である。東京都練馬区の仲良し3人組の女性は言った。「名作中の名作。もう全部、カッコいい」(60歳代)。「バーグマンはほんと、キレイ。知的で気品があり、愁いを帯びた瞳が麗しい」(40歳代)。「笑いもある。モノクロ映像も音楽もノスタルジーをそそる」(50歳代)
たしかに「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」のメロディーはいい。黒人ピアノ弾きのサム(ドゥーリー・ウィルソン)の声が心に染みいる。警察署長(クロード・レーンズ)のおとぼけも絶妙のスパイスとなっている。
これが半世紀以上も前の映画、しかもすべての撮影がハリウッドのセットとは。見終わると、スペインサッカーに酔いしれたような、高揚感が胸に残る。どこかでシャンパンを飲みたくなった。
「カサブランカ」
製作国:米、日本公開:1946年。1943年のアカデミー作品賞・監督賞・脚色賞を受賞した、アメリカ映画史に名を残すラブロマンスの傑作。ハンフリー・ボガードはこの作品でハードボイルドキャラクターが定着。そのスタイルは多数のフォロワーを生み出し現在に至っている。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」
公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=CASABLANCA © 1942 Warner Bros. Pictures. All Rights Reserved.
『圧倒的な笑顔におののく~ワイルドバンチ(1969年)』
なぜ、これが名作映画なのだろう。狂ったように人が殺されていく。そして、男たちがよく笑う。とくに性格俳優のアーネスト・ボーグナイン扮するダッチが大口を開けて、ガハハハと哄笑する。
まるで獅子舞の獅子か、「泣く子はいねえがー」のなまはげか。あるいは鬼瓦みたいでこわい。意味不明の不気味さがあるのだ。
ボーグナインの顔といったら、太い眉毛が両方つながっている。眉間には深いしわが3本、刻まれている。歯にはすき間がある。これで笑うのだから、ちっとも脳裏から消えてくれない。殺戮シーンもかすむのだ。
「正直言って、何を伝えたいのかがわからない」と、36歳の男性は漏らした。「子どもも女も、死んで死んで死にまくる。印象に残るのは役者たちの暑苦しい表情。ま。メキシコの強烈な暑さと光もよく出ていた」
なるほど、やはり顔である。時として、笑顔は怒った顔よりゾッとする。そういえば大相撲の朝青龍の笑顔が忘れられない。以前、けいこ場の取材中、横綱は高見盛にプロレス技を連発し、ふざけてメガネまでぶっ飛ばした。そして、「どうだ」とばかり、仁王立ちして大笑いしたのだった。あれはホント怖かった。
下積み時代の努力、天より与えられた才能、さらには泣きごとを言わないプロ根性。それらが束となって、無敵の横綱も、アカデミー賞主演男優賞男のボーグナインも誕生したのだった。だから存在感もハンパでないのだ。
悪党のリーダー役のウィリアム・ホールデンも、他の配役の役者も顔つきが激しい。アップショットは効果的だ。スローモーションも悪くない。メキシコの燃える太陽、荒野の砂埃っぽさ、べたつく汗はよく撮れている。
あえて言えば、武器強奪を成功した後、5人がバーボンを手渡しでラッパ飲みするシーンが好きだ。豪快な笑いのどこかに絶望の気配がフッと、におう。そして無差別殺人には閉塞感を打ち破る痛快さも感じる。そんな心の内を照らし出すところが、名作たるゆえんということか。
「ワイルドバンチ」
製作国:米、日本公開:1969年。過激な暴力描写や滅びの美学を描かせれば右に出る者はいないサム・ペキンパー監督による西部劇の傑作。その完成度の高さから「西部劇に終止符を打った作品」とも呼ばれている。
(「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」
公式HP:http://asa10.eiga.com/)
写真=THE WILD BUNCH © 1969 Warner Bros.-Seven Arts. All Rights Reserved.
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