週刊朝日概要

創刊したのは1922(大正)年2月25日。当初は月3回(5、15、25日)発行の「旬刊誌」で名前も「旬刊朝日」だった。

記念すべき創刊号の表紙を飾ったのは、朝日新聞社を訪れたフランスのジョッフル元帥。トップ記事は「第一次世界大戦後のワシントン会議における海軍軍縮問題」......今と比べると、ずいぶんお堅いラインナップだった。
その後、1カ月遅れで毎日新聞社が「サンデー毎日」を発刊したのを受け、本誌も4月2日発売分から週刊化。名前も「週刊朝日」に変更された。四六4倍判で36ページ、定価は10銭。

ちなみに、当時の物価は−−。
たばこ(ゴールデンバット)6銭
牛乳(180cc) 8〜10銭
コーヒー1杯      10銭
映画館入場料      30銭
(『値段の明治大正昭和風俗史』週刊朝日編より)

創刊年の出来事は−−。
摂政裕仁親王(昭和天皇)の結婚勅許を発表
日本共産党結成
オスマントルコ帝国が崩壊
アインシュタイン博士が来日、日本に相対性理論ブーム
ソビエト社会主義共和国連邦(現ロシア)が成立
※なお、本誌の創刊日に生まれた著名人に、
日本社会党元委員長の田邊誠氏がいる。

現在のB5判になったのは1940(昭和15)年。この頃の発行部数は約35万部だったが、戦争で用紙が逼迫すると、終戦直後には9万5千部まで激減した。

戦後は一貫して「家族で読めるニュース週刊誌」の路線を歩んだ。
作家・太宰治と愛人・山崎富栄との自殺を報じた1948(昭和23)年7月4日号では、山崎の日記全文を独占掲載。発行部数13万部(当時)が3時間で完売した。1950(昭和25)年4月2日
号からは吉川英治の連載『新・平家物語』、翌年からは徳川夢声の対談「問答有用」がスタートし、本誌は「国民的週刊誌」へと飛躍する。
1953(昭和28)年には、編集長の扇谷正造と編集部が「第1回菊池寛賞」を受賞する。当時は30万部程度。この頃、「週刊サンケイ」「週刊読売」など新聞社系の週刊誌が相次いで創刊されるが、本誌はサンデー毎日とトップ争いを演じ、1954年9月に100万部を突破。1958年新年号で150万部に到達する。

その後は出版社系週刊誌が台頭し、現在は発行部数30万程度に落ち着いているが、2001年には一連の「KSD疑惑」で、08年には「発掘!あるある大事典㈼」(関西テレビ系)の「納豆ダイエット捏造」で「雑誌ジャーナリズム大賞」を受賞するなど、今も「老いてますます盛ん」である。

過去の主な 連載小説/ エッセー/漫画

吉川英治「新・平家物語」1950−57年
水上勉「飢餓海峡」1952年
獅子文六「大番」1956−58年
今東光「悪名」1960年
海音寺潮五郎「天と地と」1960−62年
サトウサンペイ「夕日くん」1968−85年
司馬遼太郎「街道をゆく」1971−96年
村上春樹「週刊村上朝日堂」1985−86、1995−96年
鴻上尚史「鴻上夕日堂の逆上」1987−88年、
「鴻上の知恵」1991−92年
佐藤道夫「法律余談」1991−93年
高杉良「濁流」1991−92年
ナンシー関「小耳にはさもう」1993−2002年
松本人志「オフオフ・ダウンタウン」1993−1995年
内田かずひろ「ロダンのココロ」2000−02年
飯島愛「錦糸町的印税生活」2001−03年

編集長紹介

第41代編集長
山口一臣(やまぐち・かずおみ)

1989年、朝日新聞社入社。朝日ジャーナル、本誌などを経て2005年11月より現職。朝の情報番組「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)に金曜のニュースナビゲーターとして出演中。49歳。